「新しい」名言

 新年を記念して(?)「新しい」「新た」の入ってる名言を集めてみた。

 例によって当サイト<今号の名言>集より。

☆ 新しい車や新しいビルが立つのと同じように、新しい歌や新しいスタイルが生み出され、どれもこれも浮わついて、上向きになっていることが、インチキ臭さを感じさせる。だから僕たちはもっと、下へ下へと向かうじめじめとしたものを持ち続け、いっこうにカラッとしちゃいけないんだ。

── 早川義夫『ラブ・ゼネレーション』より。

☆ 新しいプロジェクトを始めるには、実験であるかのようなふりをすることだ。

── ジョン・スポールストラ『エスキモーが氷を買うとき』より。

☆ 新しい法律に伴って、新しい犯罪ができる。

── 西洋の諺。

☆ バブル期の日本には、何でもやってやろうという一種の覇気があり、耽実的なデザインが出現した。破裂後は一斉に萎縮、ひたすら真面目、調和を追うのがトレンドとなった。そして新しいベストセラーとなるべく生まれた110カローラ。その大群が湧いて出る。こよなく退屈な風景が4、5年ひろがりそうだ...。

── クルマ雑誌より。書名わからず。

☆ 忘年会ってものがあるのは、日本だけなんだってね。日本人は、その年のことをさっぱり忘れて、新しい年を迎えようってわけだ。過去の不幸な歴史なんか、忘れるわけさ。

── 永六輔『一般人名語録』より。

☆ 僕が志向してるのは、同世代音楽なんだ。今年で30だから、25から35歳くらいのためのね。僕と、同じ時代の空気に触れて成長し、今も同じような日常を持ってる、彼らに向けての歌しか唄いたくないな。いつまでも18歳の心の琴線に触れる歌を作っていく方法もある。彼らが20歳になったら、新しい18歳を対象にするっていうね。だけど僕にとっての命題は、自分と同じ世代の人間を、演歌に奪われないで、どれだけポップスに引き止めておけるかってこと。

── 山下達郎。

☆ 不幸なことに、実際私たちの多く(データによれば85%)が、その場の条件を無視して同じ方法を繰り返し使いがちである。では、なぜそうなのか? 誰にしても自分のやり方を身につけたのは、そのやり方がそれなりに成功したからであり、子どもの頃に手っ取り早くその場しのぎでうまくいっていたやり方が、何を学び取るにも心の奥底に深く染みこんでいるからである。そうすると、過去には成功していたなじみの方法ではない新しいやり方で差し迫った状況に応じることなど考えも及ばず、それよりも自然な方法などないのではなかろうかと考えてしまうのである。

── ロバート・M・ブラムソン『「困った人たち」とのつきあい方』より。

☆ 壁を突き破るには、これまでの減点思考から、新しいことに挑戦しよう、新しいことを評価しよう、という積極的な考えに変わることが不可欠です。

── 橋本大二郎。

☆ 現在と云うのは、実は一番新しい過去のことだ。

── 京極夏彦『塗仏の宴 宴の始末』より。

☆ 建築家は、建築に期待し過ぎています。建築が人の生活や社会を変えるなんて幻想は建築家の思い上がりだと思う。新しい設計の小学校を見ればわかる。子供たちの何が変化したのか。ファミコンほどの影響力もなかったのではないか。

── 森博嗣『臨機応答・変問自在』より。

☆ 聞く人が歌う人とのつながりをもつためには、聞く人自身が新しい作者に生まれ変わっていかなければならないだろう。歌い手よりあとからその歌に加わっていくのだからその歌い手以上に、強烈な想像力を持たなければならない。

── 早川義夫『ラブ・ゼネレーション』より。

☆ 岸を見失う勇気が無ければ、新しい太洋を発見できない。

── ジード。

☆ 古今東西、"私は新しい笑いを追求してます"というギャグ作家は跡を断たないが、"私は新しい悲しみを追求してます"という悲劇作家は1人もいない。

── 山藤章二。

☆  今回のM事件がいい例だ。そして面白がる一方で人はまるで怯えたように"彼"と自分との差別化をはかる。「理解できない」「異常な部屋」とマスコミや識者が言えば、今回いちばん弾圧を受けたオタク的な人々も口をそろえて言う。「一緒にしてもらいたくない」「あれは本当のアニメ・ファンじゃない」
 本当にそうだろうか。これだけ多くの人がこの事件に関心を持ち、かつ"彼"との差別化をはかろうとするのは、実は皆"彼"に自分の姿の一部を見てしまったからではないか。殺人という一線は確かに大きい一線かもしれない。しかし、そこに至る経緯や、彼の生活そのものは決して「理解できない」ことなんかではない。少なくとも私はそうだ。人は皆それが自分でなかったことに安心したいがため、ことさら差異を強調するのだ。テレビのレポーターは今日も新しい殺人事件の犯人像を「近所に住む人」に訊ねる。「人殺しなんかするようには見えなかった」 ── 何度この言葉を聞いたことだろう。それでも意外そうな顔をしてみせるレポーター。だが、もうそろそろ我々は学習すべきだ。殺人は、そんなことなんかしそうもない奴、私やあなたがふとしてしまうものなのだということを。

── とり・みき『とり・みきの大雑貨事典』より。

☆ メガヒットした後からだと、なにか制作現場に新しいロボットアニメをつくろうという熱気があったようにいわれるけど、そんなのは一切ありません。実際は30代半ばのいい大人が、なんとかしてオモチャ屋から脱出を図るために、オモチャ屋を適役のジオン公国に見立てて、彼らを黙らせるために1つひとつ手を打ちながら、口出しできないまでにリアルなフィクションワールドを成立させていった。ただ、それだけのことです。

── 富野由悠季。『THE BIG ISSUE』より。

☆ なんらかの問題に直面して、自分の頭に簡単に思い浮かんだことで満足する人は、知的には大衆である。努力せずに自分の頭の中に見いだしうることを尊重せず、自分以上にあるもの、したがってそれに達するにはさらに新しい背伸びが必要なもののみを自分にふさわしいものとして受け入れる人は、高貴なる人である。

── オルテガ『大衆の反逆』より。


1.「ニュー」とか「~アップ」といったラベルが貼られている商品は、新しくも、良くもなっていない。
2.「ニュー」とか「~アップ」といったラベルは、値上げを意味している。
3.「一新」「まったく新しい」「何から何まで新しい」といったラベルは、とんでもない値上げを意味している。

── ハーシャイザーの規則。『マーフィーの法則』より。

☆ 犀川だって、子供の頃には人並みに、科学雑誌などに掲載されている鉄道模型、ラジコン飛行機、無線機、天体望遠鏡、昆虫や化石の標本、高性能カメラ、エトセトラ......、といったアイテムに、目を輝かせる少年だった。いつの頃から、その指向が失われたのだろう。それに替わる、それを追い出した新しい指向とは、何か......? 否、失われても、追い出されてもいない、と思う。形を変えただけだ。それを「失った」と認識する精神に問題がある。

── 森博嗣『数奇にして模型』より。

☆ 産業革命は、工場での量産という、それまで人間の知らなかった生産システムをもたらした。ところが、これらの新奇な生産品にまとわせるべき意匠のボキャブラリーとして、人々が思い当たるのは、旧来の美術工芸品の様式しかなかった。
 かくして、大理石の彫刻を模倣した鉄製の装飾、豪華な刺繍を模倣して紙に印刷された文様等々、本来の美学も象徴的な意味の剥奪された薄っぺらでおざなりな意匠が、工業生産品の表層を覆い始めるのである。工業生産というまったく新しい生産手段は、それに呼応する美学を持たなかったがゆえに、意匠を限りなく形骸化していくことになった。
 こうした近代技術による伝統様式の模倣ではなく、産業化時代にふさわしい、新しい美意識と方法論を求めて誕生した運動が、ドイツ工作連盟でありバウハウスだったのである。

── 西岡文彦『デザインの読み方』より。

☆ 生を愛するが故に死を恐れる思想は欺瞞であり、生の苦痛を征服し、自殺する勇気をもった新しい人間こそ、自ら神となる。

── ドストエフスキー『悪霊』より。

☆  Z[√-5]の世界では、6=2×3=(1+√-5)(1-√-5)のように、因数分解の仕方が2通り出てきてしまう。つまり、素因数分解の一意性が崩れてしまうのだ。ここに問題があるということは、ラメやコーシーもわかっていたが、解決できなかった。クンマーの考え方はここからが画期的であった。彼は大胆にも「2や3、(1+√-5)や(1-√-5)は本当の素数ではない」と考えた。つまり「一意性が成り立つ本当の素数、そんな理想の数が存在する」と仮定したのだ。
 この強引とも思える手法が、理想数という全く新しい概念を生み出したのだ。

── 富永裕久『フェルマーの最終定理に挑戦』より。

☆ 自衛隊が違憲であるのと同様に、戦後の日本国民も違憲だったのだ ── という苦い認識の中からしか「新しい平和主義」は生まれないのだ、と思う。

── 山崎浩一『リアルタイムズ』より。

☆ 優れた哲学者とは、すでに知られている問題に、新しい答えを出した人ではない。誰もが人生において突き当たる問題に、ある解答を与えた人ではない。これまで誰も、問題があることに気づかなかった領域に、実は問題があることを最初に発見し、最初にそれにこだわり続けた人なのである。

── 永井均『ウィトゲンシュタイン入門』より。

☆ すべての専門職は、どんな新しいデータでも十分に吸収する時間があればあるほど影響されやすい。

── ロバート・M・ブラムソン『「困った人たち」とのつきあい方』より。

☆ だいたい、そのテの有害説は「写真を撮られると魂を抜かれる」から「ウォークマンやりすぎると難聴になる」にいたるまで、新しいテクノロジーにはつきものだ。写真云々はともかく<ウォークマン=難聴説><ファミコン=視覚障害説>などにしても、結局「そりゃやっぱりなんだってやり過ぎてのは身体によくないですわな。健康食品だってエアロビクスだって過激にやれば身体壊しますもん」という以上の説得力はない。

── 山崎浩一『退屈なパラダイス』より。

☆ 建物というのはいつも微妙なバランスで生命を維持している。新しいとか、綺麗だとかいうのはあまり関係ないことなのだ。生きている建物はたとえ壊れてもすぐに修復する。しかし死んでしまった建物はもう直らない。

── 京極夏彦『姑獲鳥の夏』より。

☆ 民は ── いや、民にかぎらず、凡庸な者は士大夫といえどもそうですが、古きになれて、新しいことは単に不なれであるというだけできらうものです。

── 海音寺潮五郎『孫子』より。

☆ 私が予想している読者は、何か新しいことを学ぼうとし、したがってまた自分自身で考えようとする人々なのである。

── マルクス。

☆  私はアイデアの歴史を研究してみて、人々が精神作用を理解するためのモデルは、その時代の技術を反映していることに気づいた。例えば、17世紀には、人びとは心をあたかもそれが鏡かレンズででもあるように捉えており、これは、当時の光学とレンズ造りの分野の発達を反映している。19世紀末から20世紀の初期には、心を脳全体に回路と継電器を配置した巨大な電話の交換組織と見なす人びともいた。
 この20年間は、新しい精神モデルが用いられている。コンピュータである。このモデルは、私たちの思考のいくつかの面を説明するのに、大変役に立つ。

── ロジャー・フォン・イーク『頭にガツンと一撃』より。

☆ 陽水はフォークでもロックでもなく、かといって歌謡曲でもない音楽を提供してきた。それを一括りにポップスと言ってしまえばそれまでだが、それなら陽水のようなポップスがかつて日本の音楽界に存在しただろうか? 否、やはり陽水の音楽は叙情的な詞、美しいメロディ、そして卓越した歌唱力が渾然一体となり生まれたものであり、彼独自の音楽なのである。まさに陽水はニューミュージック、新しい音楽であり、ニューミュージックは陽水の存在によって育まれてきたのである。やはり陽水の音楽はそういった意味では、ニューミュージックそのものであったといっていいだろう。

── なぎら健壱『日本フォーク私的大全』より。

☆ 科学が提示するのは、常にその時点での暫定的な理論にすぎない。新たな実験が出れば理論は修正され、進化する。修正されうるからこそ、科学を信頼することができるのだ。科学は間違うがニセ科学は間違わない。間違わないものを信じるわけにはいかないのだ。

── 菊池誠。「SFオンライン」所収、『なぜ人はニセ科学を信じるのか』(マイクル・シャーマー著)の書評より。

☆ 人間様が自然を支配・征服できると思い込むことと、自然を保護・愛護できると思い込むことは、表裏一体、どちらも思い上がりでしかない。バカな人間どもが減びてしまった後も、自然は何事もなかったように新たな生と死を再び循環させ始めるに違いないのだから。

── 山崎浩一『リアルタイムズ』より。

☆  事実、70年代半ばにニュー・ファミリーという言葉が登場し、結婚することが公然とすすめられ、美化されるまでの間はむしろ、結婚への疑念が大いに論じられた時代だといえる。
 ......もちろん、この頃から、ニュー・ファミリーという言葉の誕生に平行してウーマン・リブの動きが少しずつ注目され、そこでははっきり結婚が疑問視され、かの女らにすれば、ニュー・ファミリーほど気持悪いものはないということになる。
 しかし、消費を推進する側は、ニュー・ファミリーという言葉を作り出し、25歳以上の層を新たに購買層と意識的に設定し、そこへ向けてどんどん"物"を買わせようとした。それは、「神田川」よりもっとはっきり、しかも多岐に、多彩にやってきて、はじめのうちこそ「嫌だ、嫌だ」とニュー・ファミリーなる言葉に反発していた者さえも、巻き込んでしまい、そこから、"カタログ文化"への明らかな傾斜がはじまるのだ。

── 田川律『日本のフォーク&ロック史』より。

☆ できる男は目標に到達してもふり返らない。その先にまた新たな目標が見えてしまうからだ!!

── 島本和彦『逆境ナイン』より。
 

突然食いたくなったものリスト:

  • ソース焼きそば

本日のBGM:
Echo Thru The Night /SHOW-YA



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