Re: ニセ科学論議の違和感概要

 これは私の前回の「思い出話とか」というエントリにいただいたコメントへのレスのレスのレス(^O^)として書いたものです。(経緯は↑のエントリのコメント欄見てね)

 このコメント主のajtptwtptjaさんがレスとしてエントリ(「 [生き方]ニセ科学論議の違和感概要」(痛いことを惜しげもなくさらすブログ))を上げられたので、そのエントリにコメントとしてくっつけようと思って書き出したのだけれど、こちらもかなり長くなってしまったのでエントリにしてTBさせていただくことにした。
(TBの仕方がわかりませんッ 。。・゚・(ノД`)・゚・。)

 こんにちは。

 まず、私のエントリへの直接の言及である

>「俺は人間というちっぽけな視点からではなく、神の視点である科学的方法をとっている。その道から外れていないことを告白します!」という意味に私には感じられた、

については、3割ほどはその通りだと思います。

 ちなみに私は「論理的」であることと「科学的」であることの区別はあまりつけていません。
 で、これは自分だけではなく他人(これは未来の自分も含みます)に対して説得力のある伝え方をするのに非常に役に立つ方法だと思っています(ただしそれが全てだと思っているわけではない ── ということも、やはりいちいち言及すべきでしょうか)。
 私にとっては1つの言語や世界観を手に入れたような感覚なんですね。

 「神の視点」云々はまあajtptwtptja さんの付け足しとして、また「その道から外れていない」というのも、そうは言ってないのはもう一度読んでいただくとわかるだろうと思いますが、それでも私は、少なくとも他人を説得する主張には(もちろん不十分であるにせよ)客観性をなるべく持たせたいし、主観だけでは何も伝えられないだろうと思っています。(もちろん恋人への告白に客観性が必要だとは思いませんよ。そういう話をしているのではないです)
 もし仮に「客観性への志向」や「論理性への志向」というのをajtptwtptjaさんが「神」と置き換えるのであれば、私は別にあのエントリを「信仰告白」だと言われても全然かまいません。ただ、そうだとすれば、そういう「信仰」をまったく不要だと考えている人がどれだけいるのか、私にはわかりません。

 私はとりあえず「共通言語」としての科学的方法を身につけたいとは願っています。あそこで書いたことの1つは、少なくともその必要性や奥深さに気づけたことは幸せだった、ということです。


 ところで、おそらくニセ科学批判をしている人で「話ができそうな方」というのは、たくさんいると思いますよ。
 kikulog(http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/)あたりに集われている方は、私は信頼も置いているし、人間的にも優しい人が多いように思います。(もちろん全てではありませんが)

 で、これ以降はajtptwtptjaさんにとっての一般論としての「最近多いニセ科学エントリ全般を読んで感じたこと」についてです。

 もちろん色んな方がそれぞれのやり方で「ニセ科学批判」をしているわけですから、まとまった人格としての「ニセ科学批判者」がいるわけでもありません。これはあくまで私の感想として述べます。

>1.議論の目的が良くわからない。

 これはほんとに人によって様々だと思います。

 私のイメージは、こうです。

 「科学」というのは、かなり限られた適用範囲の中で、かなり厳密にルールに則って進んでいくものです。
 限られた範囲ですから、もちろんそれが適用できないところ、適用してはいけないところ、すべきところなどたくさんあります。
 私はこれを「『科学』という狭い土俵」というイメージで捉えています。その土俵に入らない限りは相撲(科学)のルールは適用されないが、一旦土俵に入ってしまえば相撲(科学)のルールは否応なく適応されるし、その価値観で測られてしまう。

 「議論の目的」というのは結局のところ、「いや、土俵に入ってきたので土俵上のルールを適用したまでのこと」となるのだと思います。

(これはほんと、人によって様々です)

>科学的手法と呼ばれる、たぶん検証可能性とか再現性とかの話だと思うんですけど、それを主張するのにどうしてこんなコメが集まるんでしょうか?

 というのは、まあ、どうなんでしょうね。(^O^)
 科学というのは適用範囲が狭い分、ルールがしっかりしていますから「間違っている」ことの判断は比較的しやすいですよね。これが文学であったり政治であれば、それほどモノサシは単純じゃありませんから、その意味でたくさんの人にとって「判定しやすい」というのはあるんじゃないでしょうか。

 あと、こういう分野でなければコメは集まりませんか?

>特に「まともな学者であれば云々」といったようなコメントがいくつか見られたりしたので、単純に激しく上から目線で不快に感じました。

 これについても、政治や文学のような「たくさんの価値観がある中で、『これが正しい』とはいえない」ような分野では単なる不快な「上から目線」かもしれませんが、科学のような単純なモノサシで測ってそれが間違っているのなら、それは間違いでしかないわけで、そのあたりは(まあ話者の素質もあるでしょうけれど)「科学」というのは冷徹な分野だと思います。「間違っている」と指摘することを「上から目線」と呼んでしまっているのであれば、「科学とはそんなもんです」としか言えません。
(あと、はてブコメントは比較的口が悪いというものあるのかな、とは思います。かなり古くからネットをされているということですし、釈迦に説法かとは思いますが)

>これって、一昔の表現で言うとニューサイエンス*1を論破することが目的なのかな、と感じたのですが、いかがでしょうか?

 これは私はよくわかりません。

>人間が技術的に実施しうる認知の限界に対する謙虚さ
>不完全定理と不確定性原理の観点から導かれるべき謙虚さ

 両方とも、あまり意味が掴めないのですが、要は「自分が間違っているかもしれない」という意識があるかないか、あたりでしょうか。あるいは主語は「科学」かな?

 上記のように科学はルールがかなり厳しいですから、そのうえで正誤はかなりはっきりと出ます。ですからどうしてもその指摘は「謙虚さがない」ように見えるかもしれません。
 局地的な論理の正誤がつくということと、メタな話として「自らの正しさを証明できない」とを同じ次元で語るとゴチャゴチャになるだけだと思います。

>もしくは理解できない対象に対する生理的嫌悪感か恐怖といった、まったく科学的態度とはそぐわない感情的態度に即した反応のように。

 こういう言及はいくつか見たことがあって、そのたびに私はいつも思うのですが、これって本気で言ってますか? あるいは相手の態度に対して、「こうとでも思われちゃうよ」というたとえ話で言っているんでしょうか?
 いや、どういう反応を見られて言っているのか判らないので何とも言えませんが。

>科学的態度とは、たぶん「正しい」ということを見つけ出すために推奨される方法論だと私は思っているのですが、そこの認識は間違ってないでしょうか?
>ニセ科学批判は「科学的正しさ」こそが真・善・美であるっ!と主張しているのはわかるのですが、

 わかるも何も、これは大きな誤解です。
 科学は「正しい」も「真」も「善」も「美」も語りません。
 いや、「科学的に『正しい』」というのはもちろんありますが、価値観としての「正しい」は科学には含まれません。「科学的正しさ」はまさしく「科学的正しさ」でしかない、それだけのことです。
 「正しい」も「真」も「善」も「美」も、科学の守備範囲外です。

 例えば代表的なニセ科学である『水からの伝言』では、水を入れた容器に「ありがとう」「ばかやろう」と書いた紙を(文字を内側に ── つまり水から「見える」ように)貼って、それぞれの容器の水を冷却すると、「ありがとう」という文字を「見せた」水は「美しい」シンメトリーの結晶を結び、「ばかやろう」の水は結晶も結ばない「汚い」状態になった、としています。そして「ありがとう」という言葉には「善」の波動があり、「ばかやろう」という言葉には「悪」の波動がある、などと説明しています。さらに学校の道徳の時間にこれを利用して授業をする先生が続出しました。

水でさえ「ありがとう」のような「善い」言葉には「美しく」反応し、「ばかやろう」という「悪い」言葉には「醜く」反応するのです。私たちの体は60%が水でできていますから、言葉は私たちの体にも影響を与えます。ですからいい言葉を使うようにしましょう。

 といった説明をするわけです。
 これがヒドい理由はわかりますよね?

 これが「ニセ科学」として批判されました。
 この結晶の現象は、「物理現象」として語られたわけです。つまり「科学の土俵」に入ってきたわけです。そうすれば否応なく科学のルールに則って批判されます。そして「そんな現象は起こりません」と批判されました。謙虚も何も、そんなものは起こりませんから、「そんな現象は起こりません」としか言いようがありません。
 こういう現象は起きない。だからそれ以降の議論は無意味。これで科学の態度としては終わりです。
 そしてもしも科学の立場からあえて付け加えるなら、

「物理現象それ自体に「善い」も「悪い」も「美しい」も「醜い」もない。それは科学の守備範囲外だから、そんなものの根拠を物理現象に求めるな」

ということです。
 言い換えれば、水がもしも仮に「ばかやろう」という言葉に「美しい」結晶を結んだとしても、やはり「いい言葉を使いましょう」と教えるべきであって、道徳の根拠を物理現象に求めるな、ということです。

 つまり、

>ニセ科学批判は「科学的正しさ」こそが真・善・美であるっ!と主張しているのはわかるのですが、

というのは認識としてまったく間違っているのです。

 このあたりでわかった気がするのですが、ajtptwtptjaさんは「科学」がどういうものかわかった上で「科学的でなくてもいいや」とおっしゃったのではなく、「科学というのがもし自分が考えているようなものであるならば」「科学的でなくてもいいや」とおっしゃったんですよね。

 なら、誤解が解ければ是非科学をよろしくお願いします。m(_ _)m ←何だそりゃ? (^^;

>要するに、「科学的態度を訓練して身につけると、人間として幸せになれるの?」ってことは、科学的態度を広く啓蒙していく上で重要だと思うんですが、そのあたりについては最近はどういう議論になってるんでしょうか?

 私はそのあたりの議論がどうなっているのかはよくわかりません。
 ただ、「科学的態度を身につける」ことと「幸せになれるの?」をあえて結びつけなければいけない理由があまりよくわかりません。

「外国語を訓練して身につけると、人間として幸せになれるの?」

 というのと、あまり変わらないと思います。
 ただ、1つの世界観(しかも客観的な裏付けのある)を身につけられる、というだけのことです。それ以上でも以下でもないと思います。
 人によっては幸せでしょうし、人によってはどちらでもないでしょうし、人によっては不幸になってしまうこともあるでしょうし。

 私自身は、英語や科学は自分の世界(や世界観)を広げてくれたので、それを身につけることができたことはとても幸せなことだったと思っています。ただ、これを他人も幸せと感じるかどうかはわかりません。

 恐らくですが、かなり偏った部分しかまだ見られていないのではないかなあ、と印象を受けました。

 おそらくajtptwtptjaさんの問題意識は間違っていないと思うんです。

 ただ、その問題意識はどちらかといえば「科学的であるかどうか」というものではなく、その批判者の人としての振る舞いであったり、言葉のきつさだったりするのではないかなあ、と思います。

 それに関しては何というか、「いろんな人がいますので」としか言いようがないんですね。きっと違うところでもそうだと思うのですが、どうでしょうか。

 私としては、ぜひkikulogあたりをご覧いただいて、大ざっぱな感じでも掴んでもらえたらなあと思います。

突然食いたくなったものリスト:

  • 王将の餃子

本日のBGM:
Sing a Song /松山千春



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コメント(2)

pooh :

福岡さんは未読なのでなんとも云えないのですが、茂木さんについてはいろんな方が批判していて。ajtptwtptjaさんも引き合いに出すぐらいだから多分ご存知で、で読む限り(ぼくなんかもやっているような茂木さん批判の)黒影さんの福岡さん批判に近い部分って云うのは「ボクシングの試合でバックドロップを必殺技にするのはまともなボクサーのすることじゃない」みたいな部分ですよね。

そう云うことをするのはもちろんまともなボクサーじゃないし、それが通用するんだったらボクシングじゃなくてシュートボクシングとかそう云う別の競技だろ、それをボクシングと称するのはまともじゃないんじゃない? みたいな程度の話で、そこで上から目線云々に話を持っていくのは、よく見られる風景とは云えなんだかなぁ、って感じです。

管理人 :

論理の上下が判断できてから、目線の上下を問題にすればいいのになぁ、とは思います。(^O^)

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このページは、hietaroが2008年7月31日 02:39に書いたブログ記事です。

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