書こうと思って放ったらかしのネタ

 書こうと思って題名だけメモっておいて、全然手をつけられないでいたり、まとめきれてなかったりする話。

 いつか書けるかわからん。
 こんなのはイキオイだから、一度止まるとなかなかね。(^^;

 誰かこれでインスパイヤされた人がいたら、先に書いてみて。(^O^)


●「他人に迷惑かけないようにする」と「みんなやってんだからいいじゃん」

●呪術系トンデモと現代人の「貴族化」

●「ニセ科学」を信じている人はいない

●乙姫様が着ているのは和服か?

●フォークソングと一人称「おいら」

●シュガー、「早すぎたアニメ声」。

●SADISTIC MIKA BANDのイントロの素晴らしさ

突然食いたくなったものリスト:

  • 純情屋の焼きラーメン

本日のBGM:
残酷な天使のテーゼ /アニパンク



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コメント(9)

>hietaroさん

>>●呪術系トンデモと現代人の「貴族化」

>>●「ニセ科学」を信じている人はいない

>>●乙姫様が着ているのは和服か?

この辺は、何となく論旨や論理展開の予測が附くし、内容の予測が附くと書き方勝負の部分がありますね。個人的には、内容の予測が附いてもhietaroさんに書いて戴きたいなと思ったのはむしろ、

>>●フォークソングと一人称「おいら」

>>●シュガー、「早すぎたアニメ声」。

の辺りですねぇ(笑)。とくに「フォークソングと一人称『おいら』」については、その論考の過程で必然的に「フォークソングと一人称『私』」についての言及も為されるものと期待しますし、オレが個人的に気になるのは「私」のほうだったりします(笑)。あの一人称の座りの悪さがモダンフォークの或る一面を語っていたりするよな、と。いや、これ絶対hietaroさんに通じているはずだよな、うんうん(笑)。

あと、シュガーに絡めてでも結構ですけど、安田成美とかラ・ムーとかあの辺のヘタレ声の女性ヴォーカルの系譜って、なんで萌えとか癒しの文脈で当たらなかったんだろうと不思議に思うので、その辺の考察なども期待します。あれはアニメ声とはまた別の系統ですけど、ヲタク的なツボには合致しているはずなんで、これもまた「早すぎた」部分はあるのかな、と。

ついでに、森山愛子とか愛内里菜みたいに、通常の発話はアニメ声なのにいきなりドスの効いた小節を回す系統の女性ヴォーカリストの萌えのツボなども、と言っていたらキリがないですね(笑)。いや、単にオレが好きなだけなんですけど。


管理人 :

>黒猫亭さん

>>●フォークソングと一人称「おいら」

 フォークと一人称の問題は奥深いですね。(^O^)

 仰るとおり、一人称の据わりの悪さというのはフォークに一番顕著だったのではないかと。

 ロックだと「俺」で決まりですし、J-POPの時代だと「僕」になるわけですが、どうもフォークだけは難しい。

 女性の場合は「私」という一人称が定着しているためこれほど厳しくはないものの、それでも「あたい」という「おいら」と対応する一人称は、中島みゆき御大以外にはかなりピンポイントの時代性がありましたね。

 これについて書くのはしかし、かなり難しいなあと思います。(^O^)


>>●シュガー、「早すぎたアニメ声」。

 あ、ここで想定していたのはシュガーというグループの持っていたかなり高いポテンシャルと、それを1曲目が売れてしまったが故に潰してしまったことへの恨み、そして彼女たちがインテリであったがゆえにあまりに理屈っぽくなってしまった物語性の高い作品群についての考察が中心でした。「アニメ」声の先進性(^O^)も、その文脈での

 しかし「早すぎた」でいくつかをまとめて論じるのも確かに面白いかもしれませんね。

 ただ……。ラ・ムーと安田成美に関しては私とは少し見解が違うようです。(^O^)

 私はいずれも「癒し」「早すぎた」の文脈では捉えられるものかどうか、よくわからないのです。

 安田成美は、おそらく前世紀最大の問題作「風の谷のナウシカ」を念頭に仰っていると思いますが、この場合は「癒し」というよりはやはり、ナウシカのキャラクターと同様、「一見かわいらしい少女の中に、こんな凄さが!」みたいな意外性というか、残酷性というか、毒というか(^^;、そういった、どちらかと言えば心になんらかの傷を残す(^O^)現象なのではないかと。(^O^)
 ちなみに私の友人の間では、彼女の外見と破壊的歌唱力の一体性を指して「スペツナズ・ナイフ」と呼んでいます。そして彼女と同じ文脈で語るのは、中山忍、沢口靖子あたりなのです。

 またラ・ムーについては、純粋に音楽性について評価されるべき、との見解です。「癒し」であればやはり菊池桃子名義の作品にこそ求められるかなあ、と。(しかし確かにあの声はよかった(^O^))
 ラ・ムーは当時は音楽的には評価の対象にすらのぼらなかった感がありますが、彼らが残した『Thanks Giving』というアルバムは、実はかなり良質のAORであったと思います。(余談ですが、後期の東京パフォーマンスドールも同様に評価されるべきだと(^O^))

 これらを同じ文脈で読み解く視点は持っていなかったですね。

 ちょっとこれから考えてみることにします。

 ……しかし、黒猫亭さん、書いて下さいよ。(^O^)

管理人 :

今、桃子がテレビで歌ってます。

萌え声です。

萌え萌えです。*^_^*

>hietaroさん

ほら、「一人称『おいら』」と言えば代表的なものに「受験生ブルース」がありますよね。未熟で嘴の黄色い若造が、そんな至らない自分の生活雑感を自嘲気味に滑稽めかして語る場合に、「おいら」というどこか古風でおどけた一人称が似合います。

対するに「一人称『私』」の代表的なものとしてオレが想定しているのは、たとえば吉田拓郎の「今日までそして明日から」辺りですね。この一人称は、そんな未熟な人間である自分が、それでも精一杯かしこまって大人の社会に意思表示する、そんなニュアンスに好適です。

で、当時のモダンフォークの人々にとって、実際に最もしっくり来る一人称というのは「俺」だったはずなんですね。だから、「一人称『おいら』」も「一人称『私』」も作詞上の架空の人称だったと思うのです。で、多分オフコースなんかの一人称である「僕」辺りは軟弱視されていたんじゃないかな、なんて思うんですね。

そういう視点でモダンフォークの歴史性を切り取ると面白いな、と思うんですが、如何せんオレはそんなに知識がないので、オレが書いても浅い話になるだろうなと思うので書きません(笑)。

それから、安田成美とラ・ムーについては見解が分かれましたが、実は音楽性の在り方としては同じだったんじゃないかとオレは思っています。とは言っても、両者ともアルバムを買って網羅的に聞くほど入れ込んでいたわけではなく、CMなどを含めて数曲聞いただけですが(笑)。

ラ・ムーの音楽性が高く評価されていることは識っていますが、実は安田成美も音楽性という意味ではかなり高次元だったわけで、そもそも「ナウシカ」にしてからが細野春臣、その後も高橋ユキヒロとか大貫妙子とか錚々たる作家が附いているわけです。

大貫妙子なんてのは、人脈の流れというのもありますが、安田成美のヘロヘロ歌唱を活かすには、大貫妙子のヴォーカルスタイルをアレしてコレすれば何とかなるんじゃないか的な後ろ向きの発想も仄見えます(笑)。

ですから、先進的なブレーンが附いた高度な音楽性の楽曲に「アイドルにしてもこれは」と絶句するようなヘタレ声が乗っているという意味では、安田成美と対置させる場合、アイドル時代の菊池桃子よりもラ・ムーのほうが好適なのではないかと考えた次第です。


で、この取り合わせが何だか萌えるんですねぇ(笑)。

これに関しても、纏まった記事が書けるほど周辺知識がないので、とにかく音楽ネタは、アイディアを思い附いてもちょっと書く勇気がないですね。

管理人 :

 「受験生ブルース」は正直、想定になかったです。(^^;
 この曲の歌詞(中川五郎なんだなあ……)って、実は一人称はバラバラなんですね。

「受験生ブルース」―高石友也
http://www.uta-net.com/user/phplib/view_0.php?ID=2519

「僕は悲しい受験生」
「かあちゃんも俺を激励する」
「俺らにゃ俺らの夢がある」

複雑な心性ですよねえ。(^^;
これだけでもフォークの一人称をトータルで扱うことの難しさがわかるようです。(^O^)

「私」の方ですぐに浮かんだのは岡林信康「私たちの望むものは」です。
この曲は興味深いです。

♪♪♪♪♪♪
私達の望むものは生きる苦しみではなく
私達の望むものは生きる喜びなのだ

私達の望むものは社会のための私ではなく
私達の望むものは私達のための社会なのだ

私達の望むものは与えられるではなく
私達の望むものは奪い取ることなのだ

私達の望むものはあなたを殺すことではなく
私達の望むものはあなたと生きることなのだ

今ある不幸せにとどまってはならない
まだ見ぬ幸せに今飛び立つのだ
♪♪♪♪♪♪

と歌い出される歌が、

♪♪♪♪♪♪
私達の望むものは決して私達ではなく
私達の望むものは私でありつづけることなのだ
♪♪♪♪♪♪

となり、クライマックスに来ると

♪♪♪♪♪♪
私達の望むものはあなたと生きることではなく
私達の望むものはあなたを殺すことなのだ
♪♪♪♪♪♪

というふうに、望むものが裏返っていきます。

さらにいつの間にか

♪♪♪♪♪♪
今ある幸せにとどまってはならない
まだ見ぬ不幸せに今飛び立つのだ
♪♪♪♪♪♪

となっているという、非常に緊張感のある名曲です。

ここで

「私達の望むものは決して私達ではなく
私達の望むものは私でありつづけることなのだ」

となることと、これが「俺」や「僕」ではなく「私」という一人称が選ばれた背景というのは考察すると面白いかもしれません。
しかし私の手には余ります。(^^;

ちなみに私が想定していた「おいら」は、チャゲ&飛鳥、長渕剛あたりでした。
この一人称の背景については、黒猫亭さんとだいたい同じ認識です。

アイドルの作家陣については、安田成美に限らず凄い人がついていた人たちがたくさんいたので、ことさらに安田成美が……という気が私はどうしてもしてしまいまして……。例えばアイドル時代の原田知世姫はあの声、歌唱力でユーミンだったわけですし。(^O^)
ちなみに私は、菊池桃子に関しては「アイドルにしてもこれは」とは思っていないのです。声、歌唱力ともども。\(^O^)/

>で、この取り合わせが何だか萌えるんですねぇ(笑)。

悪趣味だなあ。(^O^)

ゆでめん :

申し訳ありません。テーマとは関係なく岡林に
ひっかかって来てしまいました。
と、言いますのも、ふとしたことから「私達の望むものは」の歌詞が
スゴイ気になってまして。

私の記憶ではひえたろうさんが引用しておられるように
2番目の歌詞がどんどん裏返っていって
>♪♪♪♪♪♪
>今ある幸せにとどまってはならない
>まだ見ぬ不幸せに今飛び立つのだ
>♪♪♪♪♪♪
となるのですね。
で、当時10代であった私はここの意味がわからず、
随分悩まされたものです。

ところが当年52歳となった今、
あるきっかけで、その意味が私なりに解釈できて
ああ!そういうことだったのかと・・まあ相当にアホですが。
(解釈自体は当書き込みとは関係ないので触れません)

しかし今、歌詞をネットで検索してみると
>今ある不幸せにとどまってはならない
>まだ見ぬ幸せに今飛び立つのだ
と一番と同じ形なのですね。
結構あちらこちらに歌詞は載っているのですが
みんな「まだ見ぬ幸せに今飛び立つのだ」になっている。

せっかく30年以上も経過してから
>今ある幸せにとどまってはならない
>まだ見ぬ不幸せに今飛び立つのだ
を理解したと思った私にとってこれはショックでした。
ようつべのライブを見ても
「まだ見ぬ幸せに今飛び立つのだ」と歌っているように聞こえます。
勝手に歌詞間違えて覚えていての独り相撲?

あきらめきれずに検索しまくっていると
ひえたろうさんのブログに来たという次第です。
長文スミマセン。

改めてお伺いします。
引用されているように
>今ある幸せにとどまってはならない
>まだ見ぬ不幸せに今飛び立つのだ
ですよね?幸せから不幸せに飛び立つのですよね?

男50歳をとうに過ぎ、己の半生などを考えたりし始めるとき、
幸せに飛び立つのか、不幸せに飛び立つのか、
こいつは問題です。果たして真実は・・・

長々と失礼しました。申し訳ありません。

管理人 :

>ゆでめんさん

こんにちは。

>改めてお伺いします。
引用されているように
>今ある幸せにとどまってはならない
>まだ見ぬ不幸せに今飛び立つのだ
ですよね?幸せから不幸せに飛び立つのですよね?

私の記憶では、スタジオ録音では裏返りません。
恐らくネットにあげられている歌詩はスタジオ録音の『見るまえに跳べ』の歌詩をベースにしているのだと思うんです。

で、ライブでも裏返る時と裏返らない時があったように思います。

しかし、私が聴いたライブ盤では、確かに裏返っていました。
(実は私もしばらくそのカセットテープをなくしており、自分の聞き間違いだと思っていたのですが、再び聞く機会があって確かめると確かに裏返っていたように思います)

「はっぴいえんどの先生方に……」
「絶望的な前衛で……」

などというMCが入っていたと思いますが、何という名前のライブ盤だったかは、すみません、覚えていません。

あと、誰だったか、なぎら健壱あたりだったかも、この「裏返り」の凄さを語っていたように思います。

私も、この「裏返り」があるからこそ、この曲は凄みがあるのだと思います。
それがなければ、かなり薄っぺらいですよね。いや、「裏返り」があるのと比べれば、ですが。

これがあるのとないのとで、「私」たちが一体何を目指すのかが変わってくる。

この「裏返り」に気付いた時、ほんとに恐ろしい曲だ、と思った記憶があります。

ゆでめん :

ああ!それそれ、それです。私も昔持っていました。
バックははっぴいえんど。
確か「はいからはくち」と「かくれんぼ」を演奏してました。
MCで覚えてるのは「弱冠わかぼし21・・・」

ツェッペリンとかGFRとかガンガンかけてた高校生が
「おまわりさん〜あんただって便所のハエさ」とくるもんだから
家の者が「この子、赤になったんとちゃうやろか」て心配半分、
いや〜な顔してましたね。
ハードロックはOKだったのに、岡林だけは近所の手前があるので
ボリュームを下げろと言われて。
岡林が危険な香りをプンプン振りまいていた田舎での思い出です。

お礼が遅くなりました。ありがとうございます。
少なくとも「裏返る」ことはあったわけですね。
さらに裏返った歌詞に意味があるとする評価が、
一部かもしれませんが、世間でも認知されてるのですね。

ネットで検索していて感じたのですが
この歌詞を前にしたときの若い世代の感じ方ってどうでしょう。
検索で結構数があったことを思えば、少なくとも何らかの関心はあると。
アナーキーな匂いがするので時代性を感じてとか、
そこが現代から見れば幼稚で可愛いよねとか、
あなたを殺すことなのだ、ってなんて物騒な、とんでもない歌だとか、
やはり70年代の若者だった自分とは決定的な差異を感じます。

一方で、今のミュージシャンがまっすぐな姿勢で演奏したら
結構「通じ」て「感じ」てくれたりするのではないだろうか、とも思ったり。
(サンボマスターがえらい岡林をリスペクトしてて
コンサート一緒にやったりしたらしいですね)
どない思わはります?

管理人 :

>ゆでめんさん

>少なくとも「裏返る」ことはあったわけですね。
さらに裏返った歌詞に意味があるとする評価が、
一部かもしれませんが、世間でも認知されてるのですね。

だと思います。私自身もしばらく自分の「聞き間違い」だと思っていたのですが、その方(ほんとになぎら健壱だったか記憶が定かではありません)の評価を見てから確認したのでした。

若い人の感じ方ですが、ちょっと話が大きい、と感じるのではないでしょうか。(^O^)
少し前の「若者」にとっては岡林が歌った「自由」よりも尾崎豊か歌った「自由」の方がリアルだったと思いますし、今の若者にとって「自由」というのはもともとあるもの、という感覚かなあ、とか思っています。

今もし当時の岡林の歌がもてはやされることがあるとすれば、「ゲバラの写真のTシャツ」みたいな感覚の、「歴史上の人物」になってしまったのではないかと思ってしまいます。

そういえば、御存知だとは思いますが、岡林は「ジェームス・ディーンにはなれなかったけれど」という曲で、尾崎豊について触れています。

♪♪♪♪♪♪♪♪♪
若い歌い手が死んだ まだ26の若さ
彼は祭壇に置かれ ジェームス・ディーンになった
俺が歌に疲れ果て 山の村に逃げたのも
ちょうど同じ26 あれからもう20年

ジェーム・スディーンにはなれなかったけれど
生き続けることができてよかった
♪♪♪♪♪♪♪♪♪

>やはり70年代の若者だった自分とは決定的な差異を感じます。
一方で、今のミュージシャンがまっすぐな姿勢で演奏したら
結構「通じ」て「感じ」てくれたりするのではないだろうか、とも思ったり。

私はあの頃の岡林の歌は、「通じない」と思っています。
何から何まで違うので。

サンボマスターとのジョイント(知りませんでした)でどういう曲を演奏したかはわかりませんが、少なくとも岡林本人の演奏で失踪前の曲をやっても、その曲には「命」がないと思うし、私は聴きたくないです。きっと岡林本人もやりたくないだろうと。今やるとしたらエンヤトットしかないだろうと思います。

「ジェームス・ディーンにはなれなかったけれど」の歌詩そのままに、岡林本人にとってリアルタイムの歌こそが彼の歌であり、「フォークの神様」などという過去は、まったく意味のないものだと思います。

そしてリスナーにとっても、正直言って、岡林のこの時代の歌がリアルに響くのは当時のゆでめんさんのような、「当時の若者」たちだけなのであって、彼らに「伝説」として響いても、価値はないと思うのです。
つまり、岡林のここらへんの歌がリアルに感じられるのは、ゆでめんさんたちだけの「特権」なんです。そしてそれは現代には決して甦りません。

今の若者に通じさせる、などという妄想(^O^)は、抱かない方がいいと思います。

……岡林について、新しいエントリを上げました。
ご笑覧下さい。m(_ _)m

http://taizo3.net/hietaro/2008/06/post_323.php

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このページは、hietaroが2008年5月28日 03:53に書いたブログ記事です。

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