やっぱりまとまらない
先日(「「血統書つきで、無料」と「神の手」のチェーンメール」)の「神の手」チェーンメールを未だに信じる......というか、「真実」はどうでもいいじゃん感動したんだからという人たちと、水伝を信じる人たちのメンタリティが似ているという話なんだけども。
こういう言葉がある。
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☆ だが、泣く人の気持ちはわかるような気がした。別に泣いたっていいじゃないか、とも思った。問題はその先だ。多くの人が「ああ、自分は泣いてしまった。不覚ではあるが事実は事実だ。ここは厳粛にこの事実を受け入れ、この作品を評価せねばなるまい」と思い込んでいるようなのだ。これが私にはよくわからない。皆あまりに自分の生理現象を信頼しすぎているのではないか。人は梅干しの写真を見れば唾液が出てきてしまうのだ。 ── とり・みき『とり・みきの大雑貨事典』より。
☆ 涙ばかり貴きは無しとかや。されど欠びしたる時にも出づるものなり。 ── 斎藤緑雨『わすれ貝』より。
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とり・みきの言葉は、「一杯のかけそば」騒動(⇒Wilipedia「一杯のかけそば」)についてのもの。
「実話」として喧伝された感動的な話が、実は創作であった(更に作者が寸借詐欺で捕まった)ことで、作者への大きな非難が上がった、あれですね。
この騒動にしろ、「水伝」「神の手」にしろ、まず受け手が「いいなあ」とか「感動☆」といった感情を抱いてしまい、実はそれの前提条件が間違ってたことが後でわかった、という点で一致している。
ところがわかった後の行動が、それぞれ違う。「かけそば」の場合は、作者への非難に向かい、「神の手」は「真実なんて大きな問題じゃない」となり、水伝は「本当にそんなことが起きるかもしれない(今の科学ではまだわかってないだけ)」あるいは「物理現象の真偽なんて大きな問題じゃない」といった反応になった。
ただ、いずれにせよ、とり・みきの言うように、「皆あまりに自分の生理現象を信頼しすぎている」ことは共通しているようだ。そしてこれは「感情」とか「感性」(^O^)と言い換えてもいい。吟味をしなくていいのなら生理現象と変わりはない。
↑のような反応のバラツキは、自分の感性の吟味は不問に付した上で、しかし現実を前に落としどころに困っている、というように思える。自分の感性の方を鉄壁に守りたいが故に、「あららそうだったの~。まいったな」という反応ができないのだ。
私はこれら三様の反応は、単に「わかってしまった『真実』がどの程度決定的なのか」だけの違いだと思っている。
......。
......ダメだ。これもまとめきれない。_| ̄|○
でもどうせこれ以上考えないだろうから、みっともないけど上げてしまおう。
誰かこの続きを考えて下さい。m(_ _)m
そうそう。ここにもアホがTB打ってきましたよ。
あっさりMTにブロックされてましたが。
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