ぱられるわーるど
いや、何というか、ごく普通の、日常的な会話ではあるのだけれど。
B「近所の○○スーパーな、冷凍食品の事件で売れへんなったかして、冷凍食品の棚が空っぽになってる」
私「『売れへんなった』って、客が買えへんなったってことか? それとも売ることができなくなったってことか」
B「......」
どうやら本人の中で、この区別がついていなかったようだ。
ちょっと私には考えられない整理状態で、びっくりした。
それでふと思い出した話。
中学1年で英語を習いだした時、とても困ったのが「brother」や「sister」の訳し方だった。どちらが年齢が上かわからない以上、『兄』とも『弟』とも『姉』とも『妹』とも書けないから。
その区別をつけないで平気な英語圏人間の思考回路が理解できなかった。(^O^)
まあこれはその後、こういうこと↓だったんだなあ、と私の中では理解できたのだけれど。
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☆ ある1つの言語を想像することは、ある1つの生活形式を想像することである。 ── ウィトゲンシュタイン『哲学探究』より。
☆ 言語とはすなわちその社会の論理である。 ── 本多勝一『日本語の作文技術』より。文脈はこうなっている。
☆ 私の言語の限界が、私の世界の限界を意味する。 ── ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』より。
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ひょっとしてこれと同じことなんじゃないかと。
正直、私の中で、B氏のような理解の状態はあり得ないのだ。そこを区別できない場合、頭の中で「区別できない」という付箋が貼られることになる。恐らくそれを人に話すときは
「近所の○○スーパーな、冷凍食品の棚が空っぽになってる。冷凍食品の事件で売れへんなったんかなあ? それとも......」
という感じになると思う。
少なくとも「冷凍食品の事件で売れへんなった」という言葉を発するのであれば、その区別がついているかどうかを意識しないで発することはあり得ない。
私はきっと、「brother」をちゃんと区別する言語体系に住んでいるのだ。(^O^)
もうね、薄々気づいていたとはいえ、全く別世界を見ているということ(もちろんどちらがいいという話ではなく)を改めて知って、かなり愕然としましたよ。(^O^)
突然食いたくなったものリスト:
- きなこ餅アイス
本日のBGM:
あやか市の動物園 /はっぴいえんど
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