古い番組 ── スピリチュアルさん数人集合
BGVとしてダラダラと流しているビデオの中に、『ジェネジャン(Genaration Jungke)』という番組があった。内容は当時流行していた(と、過去形にしていいのかね)「スピリチュアル」の特集で、「スピリチュアル・カウンセラー」とか「霊能者」とかそのへんの人10人が一堂に会するという番組。
日付を見ると2006/09/28に撮った番組らしい。
そういえばこれについて、昔このブログで書いたような......と思って捜してみたら、別のところだった。
今回はそれをちょっと書きなおした上で、別の話も織り交ぜてここに上げてみよう。
必要なのは何の能力?という話
この番組はいつもそういうことをやってるんじゃないらしいが、この回はたまたま「スピリチュアル」の特集だった。「スビリチュアルカウンセラー」や「霊能者」を10人集めて、さらに「肯定派」「否定派」のタレントも呼んで、討論させたり1人のタレントの「前世」や「オーラ」を10人がかりで同時鑑定させたりするといった企画になっていた。
(「スビリチュアルカウンセラー」と「霊能者」は違うらしいが、正直、区別がつかんので両方「スピリチュアルさん」と呼びます)
まあ、なんというか、私は彼らの「霊能力」とやらが「本物」かどうかなんてことは正直、どうでもいいんですが。(というか、それはここではあまり大きな問題じゃない)
それより、その「討論」の中で、本質的なとこはここだよなぁと思う会話があって、それを御紹介しときたい。
1人のスビリチュアルさんがふかわりょう(「否定派」)に向かって、
「あなた、2代ぐらい前の前世、犬やったよ」
と断言した。仏教的輪廻観から言えば、前世が犬だったら、そりゃかなりいい方じゃないか(^^;、と思うんだけど、この発言者の文脈では悪い分類のようだ。で、その後そのスピリチュアルさんは、
「生まれながらの力がなければ、修業したりなんかしても霊能力なんかつかないよ。お坊さんでも神主さんでも何万人という人がいるけど、みんな霊能力ないもん......」
と続けた。それに別のスビリチュアルさんが突っ込む。
「今、前世が動物であるとおっしゃいましたよね。それで悩んでる人、すごく多いんですよ。前世がゴキブリって言われた少女がいまだに治ってない人もいるんです。そういうふうに前世が動物ですというのであれば、動物だといわれた人間の精神、心情というものを、あなたどうやってカウンセリングするんですか?」
また別のスビリチュアルさんも続ける。
「私は思うんですけどね、人間社会というのはやはり人をそれぞれ尊敬しあって生きていくわけですよね。前世は動物だ......そりゃ見えるのはあなたの霊視だから勝手だからいいんですけども、それはね、自分のメガネで見たことをそのまま言えばいいかといったら、違うでしょ。例えば生きていて、隣の人から何かされたから、お前死ねとかお前はどっか行けとか消えろとか、それを直接言ってるのと同じことですよ。いいですか。我々の仕事というのはね、お客様から聞かれて、その色々なことを答えることによって、その言葉で死ぬ時があるんですよ。重みが違うんですよ。あなたそんなことしとって人を救えるわけないでしょう。それだったら霊能者がただガーガーと言ってるだけのことであってね......」
後の人の「例えば」はあんまり適切な例になってないと思うんだけども(^^;、それでも言いたいことはよくわかる。
結局、彼らのような「霊能力」にしても、あるいは「占い」にしても、その本質は「相談」「カウンセリング」なんだよね。
相談というのは本来、その人が長年関わって信頼を醸成した人(例えば「信頼するおじさん」とか「先生」とか)にするものだ。だからこそ重みがある。人間というのは厄介なもんで、たとえ全く同じ助言をされたとしても、相談者がその助言者に尊敬やら畏敬やら信頼やらを抱いていない限り、なかなか受け入れることができない。しかしそんな人間が周りにいる人ばかりじゃない。しかも人生には分岐点ばかり。当然、「相談相手(助言者)」需要は生まれ、それを専門的に行う人が出てくる。
ではその「職業相談相手(助言者)」が、ほとんど面識のない「相談者」からどうやって尊敬やら畏敬やら信頼やらを勝ち取るのか。
ある人の切り札は「医者」「弁護士」「○○アドバイザー」といった肩書き・資格だったりする。相談者はその「資格」に、「この人は、それだけの専門知識と経験がある」という信頼を感じることができる。
で、ある人の切り札が「霊能力」であったり、「占い」であったりする、と。
相談者がその不思議な能力なり占いなりを受け入れることができさえすれば、相談はちゃんと進んでいく。
つまりスピリチュアルさんであれ占い師であれ、その「能力」は、結局は「おじさん」「先生」と同等の信頼を相談者から一瞬にして勝ち取るためのツールでしかない。
このツールによって助言者は助言者としての本来の力を発揮できるスタートラインに立つことができる。
だから基本的にはスピリチュアルなり占いなり超能力なりのデモンストレーションは相談者と助言者との二者関係で消費されればそれでいい話なのだ。
てことは、まあ極論してしまえば、霊能力というのが本当に存在するのかとか占いが本当であるのかというのは、まあ「科学」としては大きな問題だとは思うけども、少なくとも「相談」という二者関係の内部ではそれほど大きな問題ではない。
同様に、その人が本当に「医者」「弁護士」であるかも......。(^^;
例えば「易」は、出た六四の卦を易者が現実世界に当てはめて相談者に話すわけだが、その作業にはどうしても易者の個人的な体験や能力、人格といった全人格的な資質が必要となってくる。実際、「易をよくするものは占わず」みたいな言葉まであった。つまり易の達人になれば、占う必要などない(的確な相談ができる)のだと。
......って、よく考えたら、京極夏彦がそのまんまのこと言ってましたわ。↓
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☆ 占いの基本は情報収集である。相談者の情報を、如何にして多く得られるかが決め手となる。事前調査、自己申告の要求、面談時の観察、誘導尋問と、考え得る限りのツテを使って占い師は相談者の個人情報を集める。そうでなくては的確な回答は出せないからだ。これは、占いがインチキだと云うことではない。それこそが正しい占いなのだ。個人の要求に的確に応えること ── 懊惱を除去することこそ占いの本来であり、神祕的な所謂"秘密の暴露"は、效率良くそれを行うためのテクニックでしかない。悩みを取り去るために騙して貰うわけで、騙されたと解っては效き目もない。バレる占い師は腕が悪いのだ。 ── 京極夏彦『塗仏の宴 宴の始末』より。
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「懊惱を除去することこそ占いの本来」、「悩みを取り去るために騙して貰う」、「バレる占い師は腕が悪い」。これだ。
だから、横から「そんな能力はデタラメだ」とか指摘するのは場合によってはヤボでしかなかったりする。もちろんそれが詐欺だったりすれば大いに介入すべきだけども。
※これはあくまで信頼を得るためのデモンストレーション(「霊能力」とか)は二者関係で消費されるべき物語だという話であって、それを外に出してきて一般に向かって「自分にその能力がある」と主張する人がいれば、それは客観的な批判の対象になるのは当然のこと。
そうなると結局、「相談」という二者関係の中で最も重要なものは、相談者が助言者の助言を受け入れやすい状態にする(相談のスタートラインに立つ)能力ではなく、相談者のニーズを汲んでより適切な助言をすることができるという現実的な意味での「相談能力」、つまりは人間性そのものということになるわけだ。
当たり前だよね。結局は相談なんだもん。
「能力者」の皆さんが見せる「能力」が派手すぎて、あたかもこれこそが本質であるかのように誤解しちゃうけど。
で、番組の話に戻るけども、前世が犬だと言った人に比べて、あとの2人はよくわかってるよなあ、と。
あくまでも自分たちの仕事はカウンセリングなのであって、「能力」の喧伝はツールに過ぎないのだという自覚。これ、当たり前のことなのに、忘れて暴走する「能力者」や占い師が多いように見えるよ。
(だから私は、相談者に簡単に「死ぬ」とか言う細木数子は大ッキライなのだ)
この2人には結構好意を持ちました。
あ、そうそう。
その、ふかわりょうの前世=犬って言った人、
「ガッツ石松なんか、あんなもん、ゴリラの生まれ変わりよ」
だって。
┐(´~`)┌ ヤレヤレ
「それ、動物占いと間違っとるんとちゃうんですか?」
と他のスピリチュアルさんに突っ込まれてた。(^^; ニャントロ星人並みですな。
石田純一は典型ですか?それとも特殊な例ですか?という話
スピリチュアルとかオーラとかの「肯定派」石田純一と「否定派」松尾貴史が言い合いするような場面が何度かあった。
その時の石田の「言い分」が、どうにもニントモカントモなんだ。これって「典型」なのかな、「特殊」なのかな。特殊であってほしいけども......。
(もちろん、これが石田純一の本心かどうかなどというのはさほど問題じゃない。テレビなんだから石田純一も松尾貴史も、自分が期待されている役割をちゃんと把握してしゃべっているだろうから)
石田純一:
かなり、そういうの(「スピリチュアル」的なもの)は存在すると思います。
実際に科学で証明できないことっていうのを「非科学」ってみんな言うけど、なんか「未科学」ではないかなと。まだ科学が到達していないという、証明できていないだけで、存在することはするんじゃないかと、強く考えていますね。
松尾貴史:
それは全く違いますね。それは違うと思いますよ。科学で証明できていないことを「未科学」って言うことまでは僕はいいと思うんですよ。ただ、例えば霊が存在するっていうようなことを証明しようとしても、これは絶対できないと思うんですよ。今のところはね。今のところできないっていうのは、もともと「ない」ことは......証明しろっていうことを仰る方がたまにいるんですけど、「ない」ことを証明しろって言ったって無理ですよね。例えば科学で証明できないことはあるっていっても、それはまだそこに手が届いていないだけで、例えば宇宙の果てがどうなってるかとか、あるいはどうやったら拒食症が治るかとか、そういった解決していない問題はいくらだってあるわけですよ。
石田純一:
面白いこと仰いますね。解決していないっていうのは......例えばアインシュタインでさえ、いわゆる魂の重量を量ろうとしたりとか、なさってたじゃないですか。
松尾貴史:
それはね、魂の重量を量ろうとしたっていうのは、ある種の仮説に基づいて、反証するっていう意味もあるわけですよね。
石田純一:
松尾さんの論理で行くと、今証明されていることが全てだとすればですよ......
松尾貴史:
そんなこと言ってないですよ全然。証明されてることが全てだなんて言ってないですよ。
石田純一:
いや......。
松尾貴史:
証明されてないことの方が多いって言ってるじゃないですか。
石田純一:
そうですよそうですよ。
「松尾さんの論理で行くと、今証明されていることが全てだとすればですよ......」
という、全く「松尾さんの論理」を聞いているとは思えない返しは何だ? (^^;
でもこういう感じで、「超常現象否定派が『今証明されていることが全て』だと主張している」のだと勝手に決めつけて話を進める人はかなり多いように思える。
まあ確かに、もしそんな主張がされれば相手が間違っているのは火を見るより明らかで、「否定派は頭が固い」と思うことは当たり前のことではある。
しかしいくら何でもそりゃ想像力なさ過ぎだよ。(^^;
で、別の会話では石田氏、こういうことを言う。
石田純一:
松尾さん、さっきから言ってるけど、精神性の高さとかそういうのはあまり評価されないのかもしれないけども、ちなみに......。
松尾貴史:
それは失礼な話だなあ。それはあなたが年上だからって僕は許しませんよ。そんな言い方は。
石田純一:
別に許さなくて結構ですけど、ちなみに「オーラ」というのは「魂の輝く様」というラテン語なんですよ。
松尾貴史:
もうね、そっち方向に傾倒なさってる石田さんの言うことを聞いてもしょうがないんでね。
石田純一:
そういう、語源があるんですよ。ラテン語でね。
松尾貴史:
語源の話なんて、そんなウンチクはいいの。
石田純一:
「魂の輝く様」です。
松尾貴史:
そんなことはどうでもいいんですよ。
石田純一:
いいですかあ? オーラの話をしてるんじゃないんですかあ?
そりゃ失礼だわ。(^^;
しかしこれも、よく言う人がいるような気がする。
「否定派」は精神的なものを軽視している、と。水伝でもそういう話が出てきていたように思う。
これもまた、想像力に欠けた勝手な思い込みだわな。
とにかく相手は公式に当てはまらないものを一切認めない人非人であり、それにくらべて「肯定派」である自分はなんて人間的なんだろう、というわけだ。
むしろ「否定派」から「肯定派」に向けられる批判は、「あなたの思い込みは、むしろ結果的には人間性も否定するもんなんですよ」というものであることが多いのだけれど、そのあたりに「肯定派」は聞く耳を持つことはない。
さて、これは石田純一ひとりの特徴なんでしょかね。
突然食いたくなったものリスト:
- カバヤのきなこショコラ
本日のBGM:
To Hell With The Devil /STRYPER
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石田純一の議論の進め方には既視感があります。直接この手の人に会った経験などは無いので、テレビ番組などでの印象ですが、私には典型のように思えます。
石田純一に限らず、ビリーバーさんにはこうした「脳内の敵」と議論している人が多いような気がします。
スピリチュアル系の人は、懐疑的な人に対して“考えが狭くて固定概念に囚われている”“想像力がない”とよく批判します。しかし、ビリーバーのこうした勝手な決めつけによる議論を聞くと、偏見に満ちた固定概念で人を見ているのはビリーバーの方なのじゃないかといつも思います。
ただし、石田純一の「人の話を聞かない」っていうのは、単に議論が出来ない人の特徴で、スピリチュアル云々は無関係かも知れませんね。
「占い師」とか「霊能者」とかの概念については、多分私は京極夏彦にかなり影響を受けています。ここで示された「塗り仏~」に加えて「魍魎の匣」での語りとか「ルー・ガルー」の占いの話とかに。
微妙に遅いコメントですみません。
>摸捫窩さん
こんにちは。
>偏見に満ちた固定概念で人を見ているのはビリーバーの方なのじゃないかといつも思います。
こういう歪んだ?優越感というのは、ニセ科学やらいろんなビリーバーさんの共通項ですよね。
まともな思考法ができないことと思考の柔軟性とを混同して優越感すら得てしまうという、倒錯した感覚というのか。
>ただし、石田純一の「人の話を聞かない」っていうのは、単に議論が出来ない人の特徴で、スピリチュアル云々は無関係かも知れませんね。
ワロタ。(^O^)
仰るとおり。
京極夏彦はいいこと言いますよね。(^O^)
匣は、最近、読み返してみようかなと思っていたところです。注意して読んでみます。
> 微妙に遅いコメントですみません。
いえ、私なんか、2006/09の番組についてのエントリを上げてるわけで。(^^;