何か、ニセ科学についてのエントリには見に来てくれる人が多い。思った以上に関心が高いことにびっくりだ。人が見に来てくれているうちにいろいろ書いておこうっと。
 とはいえ、あくまで頭の整理のためであり、思い至らないところもたくさんたくさんあるはずで、それはコメントなどで指摘していただけるとありがたいなあ。

 追記:

 先日のエントリ(ニセ科学と大衆(何か見逃してる?))で、専門家への敬意とか費やしたリソースへの想像力みたいな話をしたけど、もちろんこれは「専門家じゃなければ口出すな」という意味じゃない。

 そういう想像力を巡らせてみさえすれば、あとは自分が普通に持っている論理的思考力で判断できるでしょう、ということで。

 実は高度な専門知識にまでお出ましいただかないと判断できないようなものは少ないと思う。
 きっと必要なのは、ちょっとの想像力と、普通の論理的思考力を持続する意志なのだ。

 ニセ科学の1つの特徴は、「不思議な現象」と、その現象の「原理」が一緒に語られることだ。

 水伝であれば「結晶を結ぶこと」(現象)と「波動」(原理)、燃費向上シールや電波向上シールとかであれば「燃費/電波の強さが向上」(現象)と「なんちゃらイオン」(原理)、「マイナスイオン」と「滝の効果」、「安全な水」と○○(←多すぎ)......といった具合。

 多くのニセ科学は、不思議な(あるいは効率的な/便利な)現象と、その説明原理がセットで語られる。そして多くの場合、説明原理の方が現象(効果)以上に強調される。

☆ 問題を理解してそれをなおす人物は、必ずしもどころかふつうは、その問題を最初に記述する人間ではない。

── リーヌス・トーヴァルズ。エリック・S・レイモンド『伽藍とバザール』より。

 こういう言葉があるけれど、これを少し書き換えて、

☆ 現象の原理を発見する人物は、必ずしもどころかふつうは、その現象を最初に記述する人間ではない。

 というのは、言えるんじゃなかろうか。

 つまり、もしもその「不思議な現象」自体の真偽を測りかねたとしても、その「不思議な現象」を発見するという確率の低い話に加えて、その発見者がさらにその原理までを解明してしまっている ── 九連宝燈を天和で上がるようなダブル奇跡を語られれば、「ちょっとありえない」と考えるのが、別に科学の知識がなくても健全な思考力・判断力があればできる対応ではないかと。

(確率はゼロじゃないけど、さてその現象は、あなたが生きているうちに起こりますかね。この広い世界のいろんな時代の中で、今、あなたの目の前で起こりますかね、と)

 仮に不思議な現象があったとして、

「こういう不思議な現象が起きます。でもどうしてこうなるかはまださっぱりわかりません」

という方がよっぽど科学に近いはずなんだけど、「わからない」では不安になるのだろう。原理まで自前でひねり出してしまう。言ってみれば、このあたりがニセ科学の馬脚なのだ。

(「こういう不思議な現象が起きます。再現性もあります。でもどういう理由かはまださっぱりわかりません」となれば、これは本当に科学だ ←「わからない」ことは非科学的ではない。わからないことはわからないこととして態度を保留するのが科学的な考え方)

 水伝のような特殊な例を除いて、多くの場合、ニセ科学はこの説明原理こそが本質となる。

 なぜなら例えば燃費/電波向上シールやマイナスイオン、水などはたいていの場合、その効果は「気の持ちよう」でしかないわけで、その気の持ちようはほとんどその「説明」で決定されることになるからだ。

 効果のないものを売るには説明原理は必須であり(これはお守りとかも一緒)、ここを無理矢理「説明」してしまうからこそ、そしてそれに「科学っぽさ」を用いるからこそ、ニセ科学はニセ科学になる。「でもどうしてこうなるかはまださっぱりわかりません」と潔く言ってしまうようなものはニセ科学の風上にも置けないのだ。(←って、こりゃ変な言い方だな)

 水伝の場合は先日書いた(『水からの伝言』の2つの側面 )とおり、その現象から導き出される「解釈」こそが本質となっている。(これは黒猫亭さんがコメント欄に書いてくれたように、水伝の正体が呪術だからだと思う)

 あのエントリでは水伝を「現象編」「解釈編」の2つの側面に分けたが、これに加えて「説明原理編」というのも入れるべきだったかもしれない。
 水伝の場合、説明原理は「波動」だ。
 ただ、水伝の特殊なところは、この「説明原理編」(波動)よりも「解釈編」(「ありがとう」といいましょう)こそが重要視され、本質になっているところ。現に「説明原理編」自体を知らなかったり、知っていても「それは信じない」という人はかなり多く、あのエントリに「説明原理編」を入れなかったことは、問題の核心にはあまり影響がなかったと思っている。

 水伝にはこの2つの経路(「現象編」⇒「解釈編」、「現象編」⇒「説明原理編」⇒「解釈編」)があって、少数の、江本氏が語る説明原理(波動理論)を経て「解釈編」に至った人が「宗教的」と揶揄されるような理解をすることになるのだろう。
 ただ、それがそこそこ目立ってしまうので、批判側から「宗教的」と言われ、しかし多くのビリーバーにとっては「何言ってんだ、そんなこと(波動)なんて信じちゃいないよ」となり、噛み合わない議論になってしまうのだろうと思う。

 というわけで、これまでの知見とかけ離れた「現象」を示された時、「説明」も一緒に語られているならマユにツバをつけて見るという習慣を身につければ、広い科学知識を持っていなくても、自力でニセ科学のニオイをかぎ分けることができるようになるのではなかろうか。

 こんな感じで、ニセ科学にしろ何にしろ、見破るのに必ずしも専門的な知識が必要なわけではない。

 検索してて見つけた↓のページの著者さんのような判断は、本当に健全だと思う。
 これは決して「科学知識」によるものではないが、「科学的思考」と言えるんじゃなかろうか。

燃費向上グッズとか携帯電波アップシールとか
http://www.mytokachi.jp/mt.php?id=jyuza&blog_code=70

何年も前に友人に相談されました
『燃費向上グッツはどうなの?』って

僕は車は全然くわしくないですが
常識で解る範囲に『自分の理解を超えている』とお答えしました

僕『どこの誰が考えたか知らんけど
世界のトヨタやホンダや日産が何億、何十億もかけて
少しでも燃費を向上させるために
天才達がしのぎを削ってるんだよ?

俺には理解できん

もしそんな物で燃費がアップするなら
トヨタとかはそれを買収するか研究して
車体に内蔵するはずだよ
なぜ、それをしないって事はどーゆー事か解る?

俺は車のことは解らないけど普通に考えたら買わないよ
なんならタメしてみたら?』

 追記:

 ニセ科学の説明原理の多くは引越ドロボーに似ている。
 あの、日中、留守宅にトラックで乗り付けて、あたかも引越業者であるかの如く堂々と家のものを一切合切盗んでいくという、あのドロボーね。

 いくら荒唐無稽な、科学的に無茶苦茶な説明であっても、堂々とやられれば「そんなものかな」と思ってしまう。

 追記2:

 「説明が間違ってても(言うとおりの)現象が起きればそれでいいんじゃないの?」という態度は、とても正しい。言うとおりの現象が起きれば、ね。

突然食いたくなったものリスト:

  • 唐揚げ弁当

本日のBGM:
冥土の土産 /SO WHAT?



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